その日の朝、治療院のドアを押したのは、首をこてんと右に傾けたまま固まっている女性――ネガ子さん。昨夜ソファでうたた寝をして、目が覚めたら首がまったく回らなくなっていたという。「顔を洗うのも、振り向くのも激痛……これって一生このままなんですか!?」と半泣きのネガ子さん。果たしてこの寝違え、治るのか――?

先生ぇ〜!首が!首が右に固まって動かないんですぅ!
これ、骨とか折れてませんか!?

おっと落ち着いてー。まずは深呼吸だねー。
朝起きたら首が動かない、これは「寝違え」の典型パターンだよ。骨が折れることはまずないから安心してね。

まず問診だよー。痛いのはどのあたり?そして、どっちを向くと痛い?

首の後ろから、左の肩甲骨のあたりまでズキーンって…。
左に振り向こうとすると「ウッッッ!!」ってなります。上を向くのもムリ!

なるほどねー。首の後ろ〜肩甲骨の上って言ったら、あやしいのは肩甲挙筋(けんこうきょきん)と僧帽筋の上のほうだねー。
しびれや、腕の脱力はある?

しびれはないです。ただただ首が痛くて動かせない感じ!

よしよし、それは大事な情報だよー。しびれが無いってことは、神経じゃなくて筋肉のトラブルの可能性が高い。
じゃあ次は、実際にさわって確かめてみようねー。


首をゆっくり動かしてみるよー。(左回旋…ストップ)ここで痛いね。
それから、肩甲骨の上のこのスジ…(ぐっ)

ソコォォ!!そこがめちゃくちゃ痛いですぅ!!

やっぱりねー。肩甲挙筋の停止部にバッチリトリガーポイント(しこり)ができてるよ。
ここが犯人だ。念のため神経のテストもしたけど、腕に痛みが飛ばないから神経根の問題も無し。ザ・寝違え、確定だねー!
寝違えって、そもそも何が起きてるの?
正体:寝違えは正式には「急性疼痛性頸部拘縮」とも呼ばれ、睡眠中の不自然な姿勢などで頸〜肩甲部の筋肉や筋膜が傷つき、炎症と筋の攣縮(けいれん)を起こした状態です。多くは筋・筋膜性の痛みで、椎間関節(facet)のわずかな炎症が加わることもあります。
よく傷つく筋:肩甲挙筋・僧帽筋(上部)・胸鎖乳突筋・板状筋・斜角筋。特に肩甲挙筋と僧帽筋上部が多く、「振り向けない」「上を向けない」の主犯格です。
頸椎の基本:首の骨(頸椎)は7個。前屈・後屈・側屈・回旋という細かい動きを、たくさんの小さな筋肉が支え合って行っています。だからこそ一部の筋が固まるだけで、動き全体がロックしてしまうのです。
犯人の筋肉たち(起始・停止・作用・支配神経)
肩甲挙筋:起始=第1〜第4頸椎の横突起/停止=肩甲骨の上角〜内側縁上部/作用=肩甲骨の挙上と下方回旋、頸部の側屈/支配神経=肩甲背神経(C4・C5)と頸神経叢。寝違えで最も痛くなりやすい筋です。
胸鎖乳突筋:起始=胸骨柄・鎖骨の内側/停止=側頭骨の乳様突起/作用=片側で反対側への回旋・同側への側屈、両側で頸部前屈/支配神経=副神経(第11脳神経)とC2・C3。
頭板状筋:起始=項靱帯・第7頸椎〜第3胸椎の棘突起/停止=乳様突起・上項線/作用=頭頸部の伸展・同側への回旋と側屈/支配神経=頸神経後枝。「上を向けない」ときはこの筋も関与します。
ただの寝違え?それとも神経?(見極めの徒手検査)
目的:単なる筋・筋膜性の寝違えなのか、頸椎症性神経根症など神経の問題が隠れていないかを見分けます。
やり方:ジャクソンテスト/スパーリングテスト(椎間孔圧迫テスト)。頭を後ろに反らせて(+患側に傾けて)上から軽く圧を加えます。
陽性所見:首だけでなく腕や手にしびれ・痛みが放散すれば陽性=神経根の圧迫を疑います。寝違えは通常これらが陰性で、痛みは首〜肩甲部にとどまります。しびれ・脱力・強い痛みが続く場合は医療機関の受診をすすめます。
鍼とお灸はなぜ効く?(治療のしくみ)
鍼のしくみ:固まった肩甲挙筋や僧帽筋のトリガーポイントに鍼をすると、筋の攣縮がゆるみ、血流が回復します。鎮痛の理屈は「ゲートコントロール説」=太い神経(Aβ線維)への刺激が、脊髄後角で痛みの信号のゲートを閉じてくれます。さらに脳から下りてくる下行性疼痛抑制系(内因性オピオイド)も働きます。
お灸の効果:温熱刺激で局所の血流を促し、筋の緊張をゆるめて回復を早めます。急性期でズキズキ熱を持っているうちは、冷やして安静が基本。無理に伸ばしたり強く揉んだりしないのがコツです。
東洋医学でみる寝違え「落枕(らくちん)」
病態:寝違えは東洋医学で「落枕」と呼びます。睡眠中に風寒の邪(冷え)が経絡に入り込み、気血の巡りが滞って痛みが出ると考えます。まさに「通じざれば則ち痛む(不通則痛)」です。頸項部は主に足の太陽膀胱経・少陽(胆・三焦)経が走ります。
治法:疏経活絡・行気活血・去風散寒(経絡の通りをよくし、気血を巡らせ、冷えを追い出す)。
選穴:落枕穴(奇穴)=手の甲、第2・第3中手骨の間のくぼみ。寝違えの特効穴で、首を少しずつ動かしながら刺激する「運動鍼」が有効です。後渓(手の太陽小腸経・督脈に通じる)=首や背中のこわばりに。天柱・風池(膀胱経・胆経)=後頸部のはり。懸鐘(絶骨)=胆経で、筋のトラブル全般に用います。

じゃあ、いくよー。まずは手の甲の落枕穴に鍼をして…その状態で、痛くない範囲でゆ〜っくり首を動かしてみてー。


えっ…あれ?さっきより首が動く…!
まだ痛いけど、さっきの「ロック!」って感じが減ってます!

いいねー!あとは肩甲挙筋のトリガーポイントにやさしく鍼とお灸をして、血流を戻していこうねー。今日はお風呂で温めて、しっかり休むこと!
一週間後・・・
一週間後、治療院のドアを元気よく開けたのは、あの日とは別人のように首をぐるりと回してみせるネガ子さんだった。

先生、見てください!こんなに回るんですよ〜!
あの朝は一生このままかと思ったのに…ソファで寝るの、もうやめます!

よかったねー!寝違えは枕の高さや、寝る前の首・肩の冷えとも関係するよ。
デスクワークで肩甲挙筋が疲れてると、また起こりやすいから、こまめに肩を回してあげてねー。
寝違えのまとめ
寝違え(急性疼痛性頸部拘縮)は、睡眠中の姿勢などで頸〜肩甲部の筋肉・筋膜が傷つき、炎症と攣縮を起こした状態です。主犯は肩甲挙筋や僧帽筋上部で、「振り向けない」「上を向けない」が典型的なサイン。腕へのしびれや脱力があるときは、ジャクソン・スパーリングテストで神経根症を除外し、必要なら医療機関につなぎます。
施術では、固まった筋肉のトリガーポイントへの鍼で攣縮をゆるめ(ゲートコントロール説+下行性疼痛抑制系)、お灸の温熱で血流を促します。急性期は冷やして安静、無理に伸ばさないのが鉄則。東洋医学では「落枕」ととらえ、特効穴の落枕穴を運動鍼で使い、後渓・天柱・風池・懸鐘などで経絡の巡りを整えます。西洋と東洋、両面からアプローチできるのが鍼灸の強みですね。朝の「首が回らない!」も、正しく対処すればちゃんと回復します。
参考文献
本記事は、はり師・きゅう師国家試験の指定教科書をもとに、鍼灸師である運営者が作成しています。
- 公益社団法人東洋療法学校協会 編『解剖学 第2版』医道の日本社
- 公益社団法人東洋療法学校協会 編『臨床医学総論 第2版』医道の日本社
- 公益社団法人東洋療法学校協会 編『新版 東洋医学概論』医道の日本社
- 公益社団法人東洋療法学校協会 編『新版 経絡経穴概論 第2版』医道の日本社
- 公益社団法人東洋療法学校協会 編『はりきゅう理論 第3版』医道の日本社
本記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。症状が続く場合や強い痛み・しびれがある場合は、医療機関にご相談ください。


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