このページは、あはき師の役割や医療連携そのものではなく、「日本の医療制度と鍼灸がどのような順番で今の形になったのか」という歴史・年表の切り口を担当します。有史以前の経験医術 → 中国医学の伝来 → 大宝律令・養老律令(医疾令) → 江戸の杉山和一と管鍼法 → 明治の西洋医学重視と制度化 → 戦後の法整備という一本の流れを押さえると、国試で問われる人名・法令名・順序の問題がまとめて解けるようになります。
| 読み方 | いりょうせいどしとしんきゅうし |
|---|---|
| 定義 | 日本における医療制度(医療に関する法令・行政のしくみ)と、鍼灸・あん摩の技術および資格制度が成立してきた歴史 |
| 時代区分 | 有史以前 → 飛鳥・奈良(律令期) → 江戸 → 明治(近代化) → 戦後・現在 |
| 主要な人物・出来事 | 智聡(中国医学の伝来・明堂図をもたらす)、杉山和一(管鍼法の創始・鍼治講習所の設置) |
| 主要な文献 | 古事記・日本書紀(有史以前の経験医術の記述)、黄帝内経(素問・霊枢)、明堂図 |
| 法制度の変遷 | 大宝律令(医疾令)→ 養老律令へ継承 → 明治の医制(医育と医療の制度化)→ 営業取締規則 → 戦後の新法制定(はり師・きゅう師・あん摩マッサージ指圧師の国家資格制度) |
| 制度化された職種 | 医師・鍼師・按摩師(律令の医療官制における区分) |
| 近代の転換点 | 西洋医学の重視により伝統医療が一時衰退、その後に鍼灸・あん摩も国家制度へ組み込まれる |
| 国試での狙われ方 | 人名と業績の組合せ(智聡=明堂図、杉山和一=管鍼法・鍼治講習所)、法令名の順序(大宝律令→養老律令、医制→営業取締規則→戦後の新法)、医疾令がどの律令に含まれるか |
日本の医療のはじまりは、体系だった学問ではなく経験にもとづく素朴な医術(経験医術)でした。スライドでは、その様子が古事記・日本書紀にもみられると示されています。薬草を用いる、患部をさするといった行為が、文字記録以前から行われていたことがうかがえます。
そこへ大陸から体系的な医学が入ってきます。スライドが挙げるのは智聡(ちそう)と明堂図(めいどうず)です。明堂図は経穴の位置を示した人体図で、経絡経穴の知識が図として伝わったことを意味します。あわせて黄帝内経(素問・霊枢)などの医書も渡来し、遣唐使などの往来を通じて中国医学の知識が蓄積されていきました。
国試では「日本に鍼灸の知識をもたらした人物」「明堂図とは何か」といった形で単独に問われます。
| 区分 | 内容 | キーワード |
|---|---|---|
| 有史以前 | 経験にもとづく医術が行われていた | 古事記・日本書紀 |
| 伝来期 | 中国から体系的な医学が渡来 | 智聡・明堂図 |
| 伝来した医書 | 経絡・経穴・生理観の理論書 | 黄帝内経(素問・霊枢) |
| 交流の経路 | 大陸との人・書物の往来 | 遣唐使の来航 |
日本ではじめて医療が国の制度として位置づけられたのが律令期です。スライドは「飛鳥時代に整えられた仕組み」=大宝律令と医療制度と説明しています。ここで重要なのは、朝廷の医療官制のなかに医師・鍼師・按摩師という職種が区分されていた点です。鍼と按摩が、この段階ですでに国家の制度に組み込まれていたことが、あはきの歴史上の大きな意味を持ちます。
そして、律令のうち医療について定めた部分が医疾令(いしつりょう)です。スライドは「医疾令はその後も受け継がれた」とし、大宝律令の医疾令が養老律令へ継承されたことを示しています。医疾令の内容としては、諸疾の治療と医師の任命を定め、民の健康を守るという趣旨が書かれています。
| 法令 | 位置づけ | 押さえる点 |
|---|---|---|
| 大宝律令 | 飛鳥時代に整えられた医療制度の根拠 | 医師・鍼師・按摩師が制度上に置かれた |
| 医疾令 | 律令のうち医療に関する令 | 諸疾の治療と医師の任命を定め、民の健康を守る |
| 養老律令 | 大宝律令のあとを受けた律令 | 医疾令がそのまま受け継がれた(継承関係が頻出) |
江戸時代は日本の鍼灸が独自の発展をとげた時期です。その中心人物が杉山和一(すぎやまわいち)で、スライドは管鍼法(かんしんほう)の創始者として紹介しています。管鍼法は細い管(鍼管)を用いて鍼を刺入する方法で、痛みが少なく、視覚に頼らずとも正確に刺入できるため、日本独自の刺鍼法として広く定着しました。
さらに杉山和一は鍼治講習所(しんじこうしゅうじょ)を設置し、教育の道を開いた人物としても重要です。スライドには「自立と技術で未来を切り拓く」という言葉が添えられており、視覚障害者が鍼灸によって自立する道筋をつくったという歴史的意義が示されています。技術(管鍼法)と教育(鍼治講習所)の二本立てで覚えるのが効率的です。
国試では「管鍼法を創始した人物は誰か」「鍼治講習所を開いたのは誰か」がセットで狙われます。どちらも答えは杉山和一です。
明治期に入ると、日本の医療は大きく方向転換します。スライドは「西洋医学の重視」により「伝統医療が一時衰退」したと明記しています。解剖学・生理学を基礎とする西洋医学が国の医学教育の中心に据えられ、鍼灸・漢方といった伝統医療は制度の中心から外れることになりました。
次の段階が医育と医療の制度化です。スライドには医制の巻物が描かれ、「鍼灸・あん摩も国家制度へ」「医療ニ関スル制度ヲ正シ、鍼灸按摩術ヲ国家ノ制度トスル」という趣旨が示されています。つまり、いったん衰退した鍼灸・あん摩が、あらためて国の制度の枠内に位置づけ直されたということです。
そして営業取締規則の制定です。スライドは「民衆の需要に応えて制度化」と説明し、鍼治療・灸治療・按摩(推拿)の3つが公認され、営業のルールが定められたことを示しています。衰退 → 制度化(医制) → 営業のルール化(営業取締規則)という順序で理解しましょう。
| 段階 | スライドの記載 | 意味 |
|---|---|---|
| 西洋医学の重視 | 伝統医療が一時衰退 | 解剖学・生理学を基礎とする西洋医学が医学教育の中心に |
| 医育と医療の制度化 | 鍼灸・あん摩も国家制度へ(医制) | 医療に関する制度を整え、鍼灸按摩術を国家の制度とする |
| 営業取締規則の制定 | 民衆の需要に応えて制度化 | 鍼治療・灸治療・按摩(推拿)の営業が公認・規則化される |
最後が戦後の法整備と現在です。スライドには「新法制定から今へ」とあり、鍼灸を守るための請願・関係法令の整備を経て、現行制度=鍼灸マッサージの国家資格制度が確立したことが描かれています。免許証には「はり師・きゅう師・あん摩マッサージ指圧師」と記され、これが現在の3つの国家資格です。
スライドが挙げる現行制度の意義は次の3点です。
歴史全体を通してみると、鍼と按摩は律令の時代からすでに国の制度の中にあり、近代に一度中心から外れ、戦後にあらためて国家資格として位置づけ直されたという往復の流れになっています。この「一度衰退してから復権した」という構図が、歴史問題を解くうえでの背骨になります。
| 時代 | 出来事・法制度 | キーワード |
|---|---|---|
| 有史以前 | 経験医術 | 古事記・日本書紀 |
| 伝来期 | 中国医学の伝来 | 智聡・明堂図・黄帝内経(素問・霊枢) |
| 飛鳥 | 大宝律令と医療制度 | 医疾令/医師・鍼師・按摩師 |
| 奈良 | 養老律令への継承 | 医疾令が受け継がれる |
| 江戸 | 鍼灸の発展 | 杉山和一・管鍼法・鍼治講習所 |
| 明治 | 西洋医学の重視 | 伝統医療が一時衰退 |
| 明治 | 医育と医療の制度化 | 医制/鍼灸・あん摩も国家制度へ |
| 明治以降 | 営業取締規則の制定 | 鍼治療・灸治療・按摩の公認 |
| 戦後〜現在 | 新法制定・法整備 | はり師・きゅう師・あん摩マッサージ指圧師の国家資格制度 |